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 T 長野種馬所の時代
 <種馬所創設の背景>

 日清戦争を経て、在来種馬は軍馬としての資質が悪いことを経験し、我が国における馬の改良が始まりました。その後、日露戦争を経て軍馬の改良の必要性が一層痛感されたことから、明治37年、臨時馬政調査会が設けられ本格的な産馬の改良に取り組むこととなり、明治38年を始期とする馬政第1次計画(30年計画)が樹立されました。この計画は、我が国の在来種馬に外国種馬を交配して、体格の増大と能力の向上を図り、国防上にもまた産業上にも役立つ馬をつくろうとするものでした。この馬政第一次計画は、成功のうちに昭和10年に終了しました。この間、全国の種馬所が種付け業務を行い、この計画推進に大きく寄与しました。
種馬所時代の正門
<長野種馬所の設置と変遷>

 当場は、明治39年11月13日馬政局官制に基づき、長野県北佐久郡三井村(当時)に長野種馬所として設置され、専ら種牡馬をけい養しての派遣種付、国有種牡馬の民間への委託貸付並びに馬産に関する諸調査等、馬の改良・増殖を主要な業務としました。
 当初の管轄地域は群馬・長野(西筑摩郡・下伊那郡・上伊那郡を除く)・山梨・新潟の4県でしたが、大正12年3月愛知種馬所(明治34年創立)の廃止により、三重・愛知・静岡および前記長野県の残り3郡を、更に翌大正13年12月には石川種馬所(明治35年創立)の廃止により、その管轄地域の全部、すなわち京都・大阪・奈良・滋賀・岐阜・福井・石川・富山・和歌山の2府7県を併合し、以降その管轄地域は中部・近畿および群馬(昭和12年1月栃木種馬所の新設に伴い同種場所に移管)の2府14県に及びました。
 当場100年の歴史の中で、種馬所としての40年間は、我が国馬産上の枢要機関として重きをなし、中部・近畿地方における馬の改良増殖に寄与するところ大なるものがありました。
 昭和21年に長野種馬所は廃止され長野種畜牧場となり、牧場けい養種牡馬の種付業務は昭和24年3月末で廃止、牧場保管馬は全て種付種牡馬に組替えのうえ各県に貸付されることとなりました。この貸付馬も昭和29年をもって各県に譲渡を完了、創立以来約50年にわたる当場での馬の改良業務は終了しました。
 このような歴史の中には、特に終戦の昭和20年前後は飛行場用地として海軍への26haの貸付け、職員の大量出征等による人手不足等からけい養馬の飼料確保に苦慮し、飼料不足から馬の運動量も制限せざるをえなかったこと、派遣種付においても現地での飼料購買が著しく困難となって、出張者は種付所での馬の飼養管理に苦心したこと等の記録が残されています。
<種馬所時代の主な業務>

(1) 派遣種付
 派遣種付は、民間牝馬の種付前の検査と、この検査に合格した民間牝馬への種付を実施する業務であり、創設当初から行われていました。派遣種付に必要な種牡馬けい養は、創設当時の27頭から遂年増加し、昭和年代は概ね130頭前後で推移、年間概ね5,000〜6,000頭(最高、昭和17年7,100頭)の民間牝馬に種付を行いました。

(2) 種牡馬の委託貸付け
 馬の改良を一層促進するため、大正12年以降は国有種牡馬の民間への委託貸付業務を行いました。大正14年の42頭(種付牝馬数約1,300頭)をピークに、昭和7年には21頭(同約600頭)に半減していますが、その後、第二次世界大戦直前の昭和15年には150頭、17年には350頭、19年には430頭と急速に増加しました。このことは、当時、国策が軍用・産業用馬の資質改良を強力に推し進めていたことを物語っています。

(3) 飼料の生産
 種馬所時代の昭和21年までは業務が馬の改良増殖であったこともあり、牧草、大豆、とうもろこし、ニンジン、えん麦等の生産を行っていました。このうち牧草は当時民間ではあまり栽培されていないこともあり種子は自家生産によりまかなわれていました。栽培草種は大正時代には既にイネ科牧草としてイタリアンライグラス、オーチャードグラス、チモシー、レッドトップ、メドウフェスク等が、マメ科牧草としてアルファルファ(ルーサン)、アカクローバ、アルサイククローバ等がありました。 
大正時代の牧草の収穫風景 種牡馬の派遣種付
■ U 戦後、長野種畜牧場としての再スタート
 終戦後の諸情勢の変化により、昭和21に長野種馬所は廃止し、新たに長野種畜牧場が設置されました。種畜牧場となってから、けい養種畜は種雄馬の他に、乳用牛、山羊および種兎の繁養を開始し、また飼料作物種子のもと種子(原種)の生産配布も行うようになりました。

<家畜について>

(1) 乳用牛(ホルスタイン、ジャージー)の導入
@ホルスタイン種
 当場において乳用牛の育種改良事業は昭和21年5月に種馬所から種畜牧場へ組織改変された中の第一歩の業務として開始されました。まず昭和22年に農林省畜産試験場よりホルスタイン種の種雄牛2頭、種雌牛7頭の管理換えを受けるとともに静岡県下より種雌牛2頭を購買し系統繁殖を開始しました。しかし導入した系統に不良因子が存在することが確認されたので、同系統の繁殖を中止し、種雄牛を淘汰しました。その後別系統の種雄牛を導入し、引き続き能力検定を実施しながら、改良増殖を行いました。昭和27年度における高等登録牛は4頭で、そのうち1頭は9,000sを超える成績を得たものの雌牛群は系統上および体形上に不備な点が多く、期待したような結果は得られませんでした。
 昭和29年ジャージー種の繋養開始に伴いホルスタイン種雌牛の繋養は中止されましたが、集約酪農地域指定制度の発足により近隣の乳牛飼養頭数の増加に伴い精液の需要が高まりました。このため、ホルスタイン種については種雄牛のみ繋養し、精液配布を行いました。その後、昭和32年には畜産局の方針もあり種雄牛の繋養を中止しましたが、地域の要望もあって、昭和40年に再び種雄牛1頭を繋養し昭和45年まで精液を配布し当場周辺の乳牛の改良に寄与しました。
 このほか昭和44年以降育種、哺育、育成、検定についてそれぞれの担当牧場を系列化して乳用種雄牛後代検定事業を開始しました。当場は保育担当牧場であり、生産、育成された候補種雄牛を父に持つ民間酪農家で生産された雌仔牛(検定娘牛)を年間約230頭、春期および秋期の2回に分けて長野県、群馬県、埼玉県、神奈川県の4県から購買し、3〜4カ月間哺育した後次の段階の育成牧場に管理換えを行いました。この業務も昭和63年に終了しました。

Aジャージー種
 昭和29年の酪農振興法の施行に基づき、農林省は集約酪農地域を指定するとともに、当該地域の振興を推進するため、アメリカ、ニュージーランドおよびオーストラリアの3カ国からジャージー種雌牛を輸入して貸し付ける事業を開始しました。当場近隣においても浅間山麓や八ヶ岳山麓の地域が集約酪農地域に指定されるとともに、ジャージー種の導入が開始されました。これに伴い当場も岩手種畜牧場とともにジャージー種の改良に着手し、昭和29年にアメリカ、カナダより成雌4頭、育成雌4頭、子雄1頭を輸入しました。また昭和30年にもアメリカ、カナダより成明雌1頭、育成雌5頭、子雄1頭を輸入し基礎畜の造成に努めました。その中で、マメ科牧草の過食で3頭が斃死する事故が発生しました。しかし、昭和31年には再度アメリカより種雄牛1頭、成雌9頭、子雄2頭を導入したり、岩手種畜牧場から管理換えした種雄牛を供用するなど、ジャージー種牛の改良増殖に努めました。昭和43年から乳用種雄牛後代検定事業に係る乳用雌仔牛の哺育育成事業が開始されたことにより、昭和46年度にジャージー種の繋養を中止し、岩手種畜牧場へ全頭管理換えしました。
ジャージー牛の放牧
(2) 山羊の導入
 種山羊の改良増殖を図ることを目的とし、昭和21年に山羊(ザーネン種)の導入を開始し、翌22年には有色のトッケンブルグ種を導入しました(トッケンブルグ種は昭和29年に繋養を中止)。近年における海外からの山羊の導入としては、平成10年に米国より雄4頭、雌4頭を導入しました。また、昭和45年の高知種畜牧場廃止以降は、山羊の改良増殖を行う国内唯一の機関として今日まで系統的な改良増殖を企画し、乳用山羊の原々種増成を進めてきました。
 家畜の改良は、「家畜改良増殖目標」に基づき行い、山羊について長期多乳かつ大型化を目指しています。当場では昭和37年以降、場独自の目標を定め、昭和60年には体型的には目標に達し、泌乳能力においても目標値を上回る成績を示しました。泌乳能力検定については、民間では乳期のいずれかの時期に1日のみ搾乳してその乳量を見る1回検定しか行われていないのに対し、当場では多回検定により240日乳量を正確に把握しており、国内では多回検定を行う唯一の機関でした。また、山羊の凍結精液についてもその生産は国内唯一であり、牛の凍結精液輸送ルートを活用して全国に輸送も行っていました。山羊については、平成21年9月をもって日本ザーネン種の種畜供給業務を終了しました。
パイプラインミルカーによる搾乳
(3) ウサギの導入
 国立の種畜牧場中で唯一の種兎繋養牧場として、昭和23年に日本白色種および日本アンゴラ種の繋養を開始しました。続いて昭和24年にニュージーランドホワイト種、チンチラ種が導入されましたが、昭和29年に繋養中止、その後昭和40年にはフレミッシュジャイアント種およびデンマークジャイアント種が導入されましたが、この両品種も昭和46年に繋養を中止しました。昭和47年以降は日本白色種、日本アンゴラ種の両品種に絞り改良を進めてきました。また、日本白色種については昭和60年度より国内各地域から日本白色種の系統を導入し、農林水産ジーンバンク事業に関連して小型系の日本白色種を維持するとともに中型系の系統造成の材料としても利用してきました。ウサギについては、平成19年をもって種畜供給業務を終了しました。

(4) 実験動物
 ライフサイエンスの進展等に伴い、実験動物としてのウサギやヤギに対する品質の向上が求められるようになりました。具体的には、遺伝的、微生物的(衛生環境的)にコントロールされた高品質なものを系統造成する必要があり、昭和62年度からウサギの日本白色種について、平成元年度から小型ヤギについて系統造成を開始しました。うさぎの日本白色種については、昭和63年度にSPF(特定疾病なし)化を行いました。平成2年度からは大型系(Nlb:JWNL)の配布も開始しました。また平成元年度から大型系よりも体型の小さなウサギを中型系として系統造成を開始し、平成7年度に中型系(Nlb:JWNS)の配布を開始しました。また小型ヤギについて、シバヤギを平成元年度に東京大学と北陸農業試験場から導入し、実験用としてより小型で多産なシバヤギの系統造成を開始しました。実験動物については、平成19年をもって種畜供給業務を終了しました。
日本白色種の特性調査
<飼料作物の種苗生産について>

(1) 原原種ほと原種ほの設置
 原種ほとは農家が利用する種子を生産するためのもと種子(原種子)を生産するほ場で、原原種ほとはもと種子(原種子)のさらに元となる種子(原原種子)を生産するほ場のことです。当場では昭和27年に原種ほが設置され、昭和33年に原原種ほが設置されました。
 現在の原種ほ・原原種ほ用のほ場面積は約60haです。
 採種面積の推移を草種別にみると原種ほ設置当時の昭和27年度は青刈大豆が最も多く、昭和40年代始めまで原種ほの主要作物として栽培されていました。
 昭和40年代中頃からは国内優良牧草品種の育種、海外契約採種の進展もあり、イタリアンライグラス、オーチャードグラス等の牧草類を中心とした原種ほの運営が行われるようになりました。
 昭和60年から現在まではイタリアンライグラスなどを主体とするイネ科牧草の採種が最も多く、ほかにアルファルファ、シロクローバのマメ科牧草、とうもろこしおよびソルガムなどの種子を生産しています。
コンバインによる採種ほ収穫風景
(オーチャードグラス)
(2) 種子生産用の主要農機具について
 原種ほ設置当初の昭和27年度当時はほとんどの作業は人力による作業でした。昭和40年代に入りようやくコンバインや各種精選機械の導入と種子の乾燥・精選施設が段階的に整備されました。昭和50年代にはマメ科牧草採種用に花粉を媒介するハチがよく活動する温室等も整備され、その後もエアードームやパイプハウス等の簡易施設も設置しました。

(3) 飼料生産の変遷
当場では昭和22年に乳用牛、23年にはウサギの改良増殖事業が開始されたので、主に青刈類および根菜類の多汁質飼料を生産していました。しかし、昭和27年には当場の一部が原種ほ場に転用され、牧草種子生産が増加し飼料生産規模は次第に小さくなりました。
昭和60年代には乳用牛事業が終了し、ウサギの改良目標が実験動物へ移行しSPF飼養となったため、従来の青刈牧草の給与体系からペレットによる飼料体系へ転換しました。粗飼料はヤギ用のみの乾草主体の生産体系へ移行しました。この頃の粗飼料の生産はコンパクトベーラーにトレーラーを牽引し人力による積込み、積下ろし作業を行なう乾草調製体系でした。平成5年にロールベール体系に移行し、一部ラップサイレージによるサイレージ給与も行われるようになり、現在に至っています。
マメ科牧草採種用として使用されたエアードーム(平成3年〜平成8年) ロールベーラによる収穫風景
(4) 牧野改良センター事業
 飼料生産業務の関連として昭和29年に大家畜生産の基礎となる飼料基盤の確立を目指し牧野改良センターが全国8カ所の種畜牧場に設置され、当場もその1牧場として中部9県(新潟、富山、石川、福井、山梨、長野、岐阜、静岡、愛知)と群馬、三重の11県を担当しました。牧野改良センターは「種畜牧場依頼牧野改良規程」(昭和29年6月28日付け農林省告示第450号)および種畜牧場依頼牧野改良実施要領に基づき運営され、牧野の管理者からの委託契約により牧野改良を請け負い、当場はトラクター3台(ブルドーザー1台含む)、運搬・連絡用自動車2台、ディスクプラウ・ボトムプラウ等作業機12台が導入されるとともに技術職員2名、同補助員2名、常勤労務者1名が配属されました。昭和37年に事業が廃止されるまで約600haの牧野改良を実施し、我が国の草地畜産の先駆的役割を果たしました。牧野改良に関する基礎的データの調査分析は昭和37年度から実施された公共事業の草地開発事業を進める基礎となりました。
<飼料作物種苗の検査証明>

(1) OECD種子品種証明制度の実務機関に指定
 我が国は昭和42年に、我が国は「国際間で流通する種子の品種証明に関するOECD制度」(以下、「OECD種子品種証明制度」)に加盟し、当場が飼料作物に係る検査証明業務の我が国における唯一の実務機関に指定され、この制度を利用して国内で育成された飼料作物品種の海外増殖、普及を図ることとなりました。
 昭和44年当場に種子検査課が設置され、「OECD種子品種証明制度」に係る実務機関としての業務推進体制を強化し、原原種子および原種種子の検査・証明業務を専門的に行うこととなりました。
OECD証明書
(2) 種苗法に基づく指定種苗の表示検査
 種苗は外観からだけでは、品質の判定および品種の識別が困難であることから、昭和53年に指定種苗制度が定められ、種類、品種、生産地、発芽率等の表示を義務づけ、需要者の保護を図ることとされました。
 昭和54年、指定種苗に係る表示等について検査指導を行うため、農林水産省畜産局自給飼料課長野分室が当場内に設置されました。昭和59年、種苗法に基づく流通種子の検査指導業務が畜産局から当場に移管され、当場の業務として行うこととなりました。
流通している種苗の集取
■ V 長野種畜牧場から家畜改良センター長野牧場へ
<家畜改良センター化>

 我が国の経済社会が成熟・安定していく中で、県や民間における家畜改良体制の整備が進むなど種畜牧場をめぐる状況が変化し、また、行政の効率化が一層求められるようになりました。
 このような中、平成2年に種畜牧場を再編し家畜改良センターが設立されました。
 福島種畜牧場を本所とし、従来独立して存在した種畜牧場を家畜改良センターの内部組織と位置づけて体制強化を図ることとし、平成2年から6年にかけて17牧場を1本所11牧場体制に再編整備しました。長野種畜牧場も「農林水産省家畜改良センター長野牧場」と改称し、実験動物としての山羊・兎の系統造成、我が国の風土にあった優良飼料作物種子の増殖、法律等に基づく飼料作物種子の品種証明・検査に取り組むことになりました。
 平成13年には行政改革の一環として、農林水産省から独立し、独立行政法人に移行することとなり、「独立行政法人家畜改良センター長野牧場」になりました。また、平成21年には、家畜改良センター内の組織改編により、「家畜改良センター茨城牧場長野支場」となりました。
<家畜改良センター時代の新たな業務>

(1) ISTA認定検査所として認可
 ISTA(International Seed Testing Association、国際種子検査協会)は、種子検査に関する国際的な機関であり、検査方法の標準化や検査所の認定などを行っています。
当場は昭和54年から畜産局より業務を引き継ぎ、ISTA指定検査所に指定され、「OECD種子品種証明制度」に基づく品種証明を行う際に、「ISTA規則」に従ってサンプリングおよび種子検査を行っています。
 平成15年に「ISTA種子検査所認定基準」の要求事項を満たすよう品質システムを構築し、ISTAから認定検査所としての認可を受け、ISTA国際種子分析証明書を発行する権限を取得しました。また平成17年度に2回目の監査が行われ、ISTA検査所としての認定を継続することとなりました。
このほか長野牧場では依頼を受けて検査を実施し、証明書の発行も行っています。
ISTA認定書
(2) カルタヘナ法に基づく遺伝子組換え種子の検査
 平成16年に我が国でカルタヘナ法(遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律)が施行されました。長野牧場では、農林水産大臣の指示により、飼料作物種子に未承認の遺伝子組換え種子が混入していないかどうか検査する業務を実施することとなりました。
 



 
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