肉用牛

「ひみかねふく」エピソード

最終更新日 2018/03/05
エピソード

平成9年当時、十勝牧場(種畜第二課)では、それまでのアンガス種等を含む外国種の育種改良から黒毛和種の育種改良に舵を切り、優良な育種素材の探索、導入に取り組んでいました。育種素材の導入は、精液や受精卵が中心でしたが、若雌牛についても家畜市場から導入していました。

このような中、近隣の関係機関から、当時の種畜第二課担当者(牧場担当者)に対して、能力が高いと推測される若雌牛についての情報が寄せられました。この若雌牛こそ、のちに「 あいこ 」や数多の種雄牛等を世に送り出すこととなる「ひみかねふく」だったのです。

牧場担当者は、情報の寄せられた若雌牛について、関係機関の担当者T氏の案内のもと調査に出向きました。向かった先は、新冠町にある小泉俊治さん、京子さんご夫妻が経営される小泉農場でした。実はこのとき小泉農場には、島根県から導入されていた彦右衛門蔓みつわ系につながる「ひみきみふじ」が繁殖牛として供用されており、その最後の産子となるかも知れない若雌牛が生産・育成されていたのです。
牧場担当者は、農場に到着後、T氏の協力を得ながら、早速、「ひみかねふく」と母「ひみきみふじ」を確認しました。「ひみきみふじ」の第一印象は、すでに高齢だったにもかかわらず、体(骨格)がしっかりしており、「丈夫そう」とのことだったそうです。また、第7糸桜の産子らしく側望が優れており、体幅も十分であり、体積感に優れていたとのことです。加えて、「顔」について、やや長めで幅があり、目もおだやかな「良い顔」との印象だったとのことです。このほか、被毛、乳徴などに問題は無いことも確認しています。小泉さんご夫妻に産子の生産状況を確認したところ、順調に連産をしているとのことでした。

一方、「ひみかねふく」については、本牛を確認しようとした際になんと「ひみきみふじ」の娘牛は双子であり、購入するのであればそのどちらかを選ぶということが判明し、大いに頭を悩ませることとなりました。2頭の体各部の測尺を行って発育等を確認するとともに、損徴等を確認しました。どちらも発育標準を越えていたものの、双子のもう一方が大柄で発育は上回っていたとのことです。鼻紋も採取し、2頭を見比べ、触り比べし、迷いに迷った挙げ句、最終的には体のバランス、背腰の平らかさや強さ、肢蹄の強さ及び皮膚や被毛の質から、現在繋養中の「ひみかねふく」を選択することとなりました。

購入手続きが完了した後日、牧場担当者を含む種畜第二課職員数名は、「ひみかねふく」を引き取るため、4tトラックで日勝峠を駆け抜け、小泉農場に到着しました。農場では、小泉ご夫妻が、「ひみかねふく」が将来の種雄牛作出用の繁殖雌牛として引き取られていくことを大層喜んで、お赤飯を炊いて待っていて下さいました。職員一同、小泉ご夫妻に「いい種牛を作ります!」と固く約束し、「ひみかねふく」(&お赤飯)とともに農場を後にしました。その日のうちに「ひみかねふく」は、職員とともに十勝牧場に到着し、導入のための検疫を経てその後の繁殖供用に至ることとなりました。

「ひみかねふく」の初産の娘牛は、当時、家畜改良センターが積極的に取り組んでいた改良システム「未経産牛からの受精卵採取と本牛肥育」に供用され、良好な肥育結果を示しました。その後、「ひみかねふく」から産子を生産し、種雄牛の候補などを作出していく中で、当時から能力の傑出していた「平茂勝」を交配して生まれたのが、「 あいこ 」です。

十勝牧場に繋養されることになった「ひみかねふく」は、繁殖を担当した職員によると、「非常に性質が温順で、牛舎から離れた採胚場までの道のりを頭絡1本のみで連れて行けるぐらいおとなしく、優しい牛でした。」とのことです。「ひみかねふく」は、その後、十勝牧場の繁殖雌牛の礎を築き、その後の高能力な種雄牛造成に貢献し、21歳となる現在も十勝牧場で繋養されています。今でも非常に温順な雌牛です。